オリンピックと勝ち組 負け組
一つの世界一つの夢というのが北京オリンピックのテーマであった。平和の祭典と言われながらも戦争と対立、国際政治の荒波に翻弄され続けてきたのがオリンピックの歩みであった。
「国ごとに競うという仕組み自体が国際政治をスポーツに投影している。開催国ともなれば国家と国民の姿を世界に示し、国際社会の一員として認めさせる機会にオリンピックが使われることは避けられない」(藤原帰一)との指摘にあるように、ヒトラーが1936年ベルリン大会を威信誇示に利用したのは有名であるし、ヒトラーの支持を受けて準備した1940年東京大会は、日中戦争を拡大する日本への非難が集中、不参加表明が続出し断念に追い込まれた。戦後初の1947年ロンドン大会には日本の参加は認められず、ようやく復帰した1952年のヘルシンキ大会では開会式の日本選手団の入場には観客のブーイングが集中したという。
「勝つことではなくて参加することに意義がある」オリンピック精神を象徴的に表すものとして知られるIOC終身名誉会長クーベルタン男爵の言葉であるが、1964年東京大会の開会式におけるブランデージIOC会長のスピーチの字幕には「NOT TO WIN BUT TO TAKE PART」と英訳されていたという。「勝つことではなしに、それぞれがそこで与えられた役割を果たす」という意味である。
勝つ人がいれば負ける人もいるということだ。日本選手団主将の柔道鈴木選手は完敗し、ネット上で「死ね」などという書き込みがなされたりした。自分のものさしだけで人を裁いたり責め立てたりする権利はどこにもないはずだ。思い上がりも甚だしい。
スポーツに感動するのは一生懸命プレイする姿そのものではないだろうか。同じことは社会や経済にもいえる。世の中の人全てが勝ち組になることはあり得ないのであって、強い人の役割、弱い人の役割がどう認識されるかが大切であると思う。他者がいなければ自分もない−−殺伐とする社会状況だからこそ先人の智恵の結晶である「おかげさまで」という言葉を、いま一度一人ひとりかみしめたい。
8月27日
食はいのち(特別編)
−渋谷の食の安全をめぐって−
中国製冷凍ギョウザ事件は、中国国内で毒物が混入されたことを中国側が認めたが、日本政府が公表を控えていたことが明らかになった。「消費者重視」を謳う福田改造内閣のそれが早くも看板倒れであることがあらわとなった。
毎日口にする食べ物に関わる事件・事故については、真相究明に徹底した情報開示が欠かせない。新農水大臣は「消費者がやかましいから」とNHKの番組で発言したが、消費者が食の安全にやかましくなるのは当然ではないか。
食の安全については、渋谷区政をめぐる問題について、インターネット上のサイトで度々取り上げられている。私の名前を挙げての批判もある。中には事実誤認のものもあるのでこの機会に私が取り組んできたことを報告したい。
8月2日(土)桑原区長も参加していた東京渋谷の夏祭りで「異臭騒ぎ」との記事が掲載される。
7月25日、26日に地元幡ヶ谷の商店街で「六号まつり」が開催されたが、26日夕屋台の焼きそばを購入した女性が「異臭がする」と指摘。保健所に届け出たというもの。この屋台は保健所への許可を受けておらずそれを区が黙認。区長と議長、芦沢も出席していた。商店街関係者は、「芦沢議員は奥さんもお祭りを手伝っていた。屋台の実態を知っていたのか」とある。
私がこの記事を見たのは8月4日。それまでこうしたことが起こっていたことも知らなかった。この六号まつりに出席したのは25日、妻が手伝いをしていたのも25日のみでくじ引きのコーナーであった。
どういう意図でこうした記事が出されたのかは不可解ではあるが、直ちに事実関係の調査を開始した。保健所生活衛生課長、区民部商工観光課長、子ども家庭部子ども青少年対策課長らに区が助成している地域行事の届出状況を確認。それによるとこの六号まつりをはじめとして保健所への届出をしていない行事もあるということが明らかになった。ただ、区が地域イベントに際して適用しているのは「渋谷区行事における臨時営業等の取扱要綱」というもので、ここには「第8条 区民まつり、商店街祭など地方公共団体や地域の住民団体が関与する公共的目的を有する行事に出店する者で、次に掲げる要件を満たすものについては、営業の許可対象とせず地域保健法第6条の規定に基づき当該行為に起因する食品衛生上の危害の発生を防止するための啓発及び指導を 次項以下に掲げるとおりに行うものとする」
(1)食品の調理・製造・加工販売等を行う。(2)出店期間が年に1回かつその日数が短期間である。
つまり、保健所サイドの見解では、地域イベントに関しても届出をお願いしているが、義務ではないとの立場だということだ。
ただ、食品衛生上の危害が発生した場合に迅速な対応をする体制になっていない現状を放置しておいてよいというものではないはずで、地域イベントの実施状況をつぶさに把握し、指導の徹底を各セクションと連携して図るよう求めた。
8月5日には区長と面会。事件・事故の発生防止と衛生管理の徹底をはかるよう申し入れ、区長も改善を約束した。その後予定されている特養、保育園の夏祭りの案内状には保健所からの指導もあり安全には要綱に基づき万全を期していることが記載されている。
8月8日(金)東京渋谷区小学校の「放課後クラブ」で賞味期限切れの乳酸飲料との記事が掲載される。
区立西原小の放課後クラブで子どもたちに提供している乳酸飲料で6月下旬賞味期限切れのものがあったというもの。
これについても直ちに教育委員会生涯学習課の放課後クラブ担当課長に調査を求めた。教育委員会が委託業者(パソナフォスタ)を調査したところによれば、5、6、7月の3ヶ月間のおやつの全品目と提供児童の記録を点検したところ、乳酸飲料を出したことはなく、おやつの購入時、保管時、提供時の3回賞味期限を確認しているとのことだ。「賞味期限切れ」に関する保護者からのクレームは放課後クラブ、学校、教育委員会にはなかったという。生涯学習課はこの調査内容を文書にして児童を通じで各家庭に配布した。
8月11日(月)池山教育長と面会。放課後クラブのおやつの安全管理に万全を期すよう申し入れ。渋谷区の放課後クラブは全区立20校で開設しており、5つの事業者に委託されている。おやつの管理について、品目や配布対象の記録書式を統一することを検討していることが明らかとなる。保護者会を開催し、直接説明することを要請した。教育長も実施すると約束。
食の安全、中でも子どもたちが参加するイベントや事業に関しては何よりも安全が優先されなくてはならない。同時に事件・事故を防ぐ危機管理の側面からも行政の対応はスピードと正確さ、公開性が担保されなければならない。
インターネットを媒介にした政治・行政への批判が行われること自体は何らかまわないと考えるが、西原小放課後クラブの一件は事実であるなら看過できない。教育委員会や学校あるいは議員に対してでもいい、是非とも直接声を寄せて欲しい。子どもたちにより良い生活環境を用意するのが大人たちの務めであるからだ。
8月13日
エコって何?
真夏日・熱帯夜が続き、体調不良を訴える人が私の周りにも多い。海ではクラゲが異常発生、宍道湖の蜆は発育が悪いなど、温暖化の影響が生態系にも現れている。
こうした中で流行っているのがエコ。マイ箸やマイバックなどを推奨するエコタレントもTVに続々出現しているが、CMでは大量消費を煽る活動を行っていて、実生活では冷房のガンガン効いた超高級マンションに住み、プライベートではCO2を撒き散らし放題の高級車を乗り回しているのではないかとついつい疑ってしまう。
「偽善エコロジー」というある工学博士の新著も話題となっているそうだが、行政や企業の温暖化防止キャンペーンは本質がずれていないだろうか。区役所の庁舎エレベータも夏の間は1台運転を中止しているが、区から出るごみの削減やリサイクル、公共工事の環境負荷や自然エネルギーの導入にこそ力を注ぐべきではないか。
閣僚や多くの議員のクールビズも嘘っぽい。スーツのズポン、白いワイシャツにネクタイが一番安上がりだ。政府は夏休み中の家庭の電力消費にまで口をはさみエアコンの温度にまで云々・・・。電力消費量総体を考えれば、切り込むべきは圧倒的シェアの産業活動である。
車は最近新車が売れにくくなっているようだが、TV、DVD、ビデオ、携帯電話等々不具合が生じて修理を依頼すると「この製品はメーカーが製造を中止したので部品を取り寄せるよりも買い換えたほうが安いですよ」と言われることが何度あるだろうか。ムダを生産し、浪費することが「効率的」だと言われる社会、小手先の「エコ」がもてはやされる社会は間違っている。
8月3日
自治体と海外
福田首相は一足早い夏休みを取り、内閣改造や衆院解散の時期についてじっくり策を練ったという。夏休みといえば今年もこの時期に国会議員の外遊が集中しているとか。閣僚や国会議員の外国訪問はほとんど批判されることはないが、自治体議員が公費で海外へいくとなると、世論やメディアなどからは集中砲火を浴びる対象となりがちだ。
渋谷区では9月に区長ら区幹部4人、議長ら区議会議員8人がトルコ、フィンランドを訪問する。共産党の議会報告には「ムダづかい」、某サイトでは「大名旅行」と批判記事が掲載され、私も区民の方から「何故民主党は参加するのか」と抗議の電話をいただいた。
民主党はこの訪問団に新人女性議員2名を参加させることにしたのだが、当初の計画にあった「海外視察」を「海外都市交流」に改め、性格が明確になったこと、訪問先が3カ国(当初はスウェーデンも含まれていた)から2カ国に縮小されたことで概算で200万円の支出削減がされる見通しとなったこと、会派幹事長や委員長ではなく会派推薦による派遣議員の選定が確認されことなど、民主党の主張が採り入れられたことで賛成を決めたものである。当初予算の内容について区長が議会運営委員会で計画の変更を明言することは渋谷区では極めて異例のことである。
外交は国家の専売特許であろうか。私はそうは思わない。都市と都市、人と人との交流は平和創出に向けて欠かせないものだと思う。私は渋谷区が友好都市協定を結んだトルコ共和国イスタンブール市ウスキュダル区との交流に、2004年9月の調査団、2005年9月の調印式の2回参加した。イスラム圏といえば過激派の聖戦や自爆テロのイメージが強く心配する向きもあったが、イスラム教モスク、キリスト教会、ユダヤ教シナゴーグが隣り合わせに並んでいるのを目の当たりにすると歴史と宗教の奥深さを感じた。手で触り放題の遺跡群を訪れたときには、渋谷の子どもたちや社会科の教員に体験させることができたらどんなにすばらしいことだろうと思ったものだ。実際、協定締結後の区民交流は、議員だけが何度も訪れるのではなく、教育・青少年・防災・文化・芸術の分野などで活動する各界各層を区民代表として派遣することを提案してきた。
こんなエピソードがある。最初の訪問の際、イスタンブール空港に到着後、ウスキュダル区議会議長からこんな話を聞かされて腰を抜かしそうになったことがある。「愛知地方を震源とする大規模な地震があり東京に50メートルの津波がきたらしい。お見舞い申し上げます」。トルコは地震国で日本の地震のニュースもすぐ伝わるのだが、インターネットや携帯電話が普及した現在でもこうした情報の伝わり方があるということだ。それだけに直接話しあうことの重要さが増しているということだ。
議長在任中の2005年8月には、特別区議長会の代表として中国を訪問した。折りしも歴史教科書問題や小泉首相の靖国参拝により日中関係は悪化、友好都市でありながら東京都がタカ派知事の意向で北京市との交流を凍結した直後の訪問であった。直接訪れても表面的な交流や非難の応酬だけは意味がない。そこで考えたのが、小中学生が使っている教科書の交換を西城区の図書館と行った。また、私が提案し直接交渉もして実現したのが、対日政党間交流のトップ劉洪才中国共産党対外連絡部副部長との会見であった。劉氏からは靖国問題で「中国人民は戦争で亡くなられた方のご家族や戦友が靖国神社へ行くことまでも反対しているわけではありません。ただ日本という国を代表する立場にある人だけがあの戦争を美化するような言動を繰り返すのが許せないのです」との発言を引きだした。この発言は機会があるごとに地元の遺族会の人たちや中国の「反日」政策を批判する人に出会うたびに、私が直接聞いた言葉として紹介するよう努めている。
平和は対話と交流から生み出されるものだと今も確信しているし、自治体だからこそできることもまだまだあるのだと思う。
7月22日
電話がつながらなくても行革!?
年金保険料や道路特定財源の目的外流用に加えて、財務省職員などのタクシー代浪費や車内接待の実態が明らかになり国民の批判を浴びている。ムダづかいや天下り、給与や退職金、官舎福利厚生など官僚と役所に対する風当たりは年々厳しいものになっている。そこで、行政のスリム化、官から民へといった風潮がつくり出されているのであるが、橋下大阪府知事のような「聖域なき改革」が世論の支持を集めているという。 ただ、ここで忘れてはならないのが公共サーヴィスの役割である。利潤追求を目的としていない分野まで「採算性」を導入したら成り立たないものが出てくる。
渋谷区でも施設の管理業務の委託が進められているが、委託先の多くは区が全額出資する第3セクター・渋谷サービス公社で、女性センターや社会教育会館の所長に議員OBが採用される例が多くなっている。
清掃事務所から出るごみまで「事業系ごみ」として業者に代金を払って収集させたり、区役所の代表電話も交換業務が委託され、つながりにくい状況となりこれは本会議で区長が陳謝する事態となった。私が電話してもつながるまでに25回かかる日もあったが、こんなものが行革といえるのだろうか。
ムダづかいを排していくのは当然としても、安上がりを追求するあまりサービスの低下を招いてしまっては元も子もない。住民戸籍窓口の休日開庁が月2回、平日の時間延長が月1回実施されるようになったが、これなどは数年前に私が議会で取り上げたときは「できっこない」という反応であった。金をかけなくてもできることは多々あるのだ。行革はサービス向上に直結するものではなくてはならない。 6月18日
五輪と政治
8月に中国で初めて行われる北京五輪まで100日を切り、4月2日にカザフスタンを出発した聖火リレーも中国領内に入り、今日は香港でのリレーが行われる。先週長野市内で行われたリレーも手厚い警備陣に囲まれてのもので、とても市民ぐるみで五輪成功の機運を盛り上げるには程遠い状況であった。
「平和の祭典」を謳う五輪であるが、「チベットに自由を」「中国は一つ」の声が交錯する中、聖火は北京へ何を運ぶのだろうか。過去の五輪も、国家や民族、体制や宗教を超えた出会いと交流が繰り広げられる一方で、政治とは無関係ではいられなかった。為政者の権勢を誇示し、国威発揚の機会に利用されてきた。今回の開催国である中国だけが特別なのではない。ましてや領土や民族問題など複雑な国内事情を抱える中国である。
私は日中友好の進展と北京五輪の成功を強く願う立場だが、同時に人権と民主主義が脅かされる事態にも無関心ではいられない。ましてや、非暴力・無抵抗の僧侶や市民たちが多数拘束するようなことは許されないことである。チベット自治に関する問題は双方が対話による解決を目指すべきである。
来週には中国の国家元首としては10年ぶりに胡錦濤主席が来日する。福田首相は何を語るのであろうか。多くの国内問題と同様に他人事で済ませたり、お得意の先送りでは世界に通用しない。
5月2日
映画「靖国」問題に想う
−私はあなたの書いたものは嫌いだが、
私の命を与えてもあなたが書き続けられるようにしたい− (ヴォルテール)
今月12日から封切りが予定されていたドキュメンタリー映画「靖国」について東京・大阪の映画館5館が相次いで上映中止を決めた。
この作品は、日本在住の中国人監督が10年にわたって見つめた靖国神社境内の現実を映し出したもので、李纓監督によれば「イデオロギー的見方を打ち消すためにナレーションを一切排除する手法で仕上げた」という。この映画を「週刊新潮」が「反日映画」として報じ、自民党衆議院議員が文科省所管の独立行政法人から750万円の助成金を受けていたことを問題視し、上映を予定していた映画館周辺で右翼の街宣活動が行われたことから中止の動きが広がったものだ。
民主主義社会は、言論・表現の自由が保障されてこそ成り立つ。それは、多様な意見の表明が認められねばならないということだ。映画館の上映中止の理由は「右翼団体の街宣車によって近隣施設に迷惑がかかる」というものだが、これは日教組の教研集会の会場予約を取り消したプリンスホテルの説明と同じものだ。これは、表現の自由の制約から、やがては表現すること自体の自粛につながる恐ろしいものだ。
新聞各紙も社説などで今回の事態を懸念しているが、いっそ新聞社系のホールを一斉に提供してこの作品を公開してはどうだろうか。
作家の保坂正康氏は、「言論の自由は新聞記者や作家が書く自由のみでなく新聞を運ぶ運転手さんや本を販売する書店員さんを含めて社会全体に自由が確立されていなければならない」と述べているが、反対意見に対する寛容さが薄れているのが今の日本社会だ。この映画を見たい人は声を上げよう。
4月8日
道路財源をめぐって
予算議会が終わった。年度末の最終本会議では、国会混迷の余波を受けて、いわゆる日切れ法案(区税条例改正)が提案できない異例の事態となった。
いまだ与野党合意が成立しない道路特定財源は、暫定税率の期限切れで値下げに踏み切るガソリンスタンドも相次いでいる。
今回の問題は、「地方のことは地方で決める」という分権改革の理念をどう進めるのかが問われているのだ。権限・財源を地方に回せと主張するのが首長の役割の筈だが、国の圧力を受けて特定財源の存続・暫定税率の維持を主張した首長がほとんどであった。特別区区長会もそうだ。
議会初日の代表質問では、この点に関して区長の見解を質した。他の質問者は誰一人触れなかったが、渋谷区長がどう答えたのかを原文のまま紹介したい。
「道路特定財源の暫定税率を盛り込みました租税特別措置法は2008年度の予算案とともに、衆議院を通過して現在参議院に送付されているとこでございます。この衆議院の審議の中で既に道路建設中期計画に基づくこの59兆円の根拠が必ずしも明確でないと言うことが浮き彫りになってきているわけでございますし、この特定財源の仕組みが利権の温床となるおそれもあるということについては既に明らかになってきていることであろうと思いますし、そのことについては参議院におきましてそのことの是正を期待しているところでもあるわけでございます」
加えて税収が減っては困るとも述べているが、新聞社のアンケートに渋谷区は「暫定税率が切れても特定の事業への影響はない」と答えている。
そうであるならば、改革を求める立場に立つべきである。
4月2日
食はいのち(2)
農薬中毒事件で問題となった中国・天洋食品で作られた商品が「冷凍手づくりギョウザ」という名前なのは笑えぬ話だが、事件の余波でスーパーではギョウザの材料の売り上げが急増している。安全、安心できる食材を求めるなら、皮の原材料やひき肉、ニラ、キャベツ、にんにくなどの原産地や農薬使用の有無などにも関心を広げたいものだ。行政や業者にはその情報を開示する責務があるし、消費者自身にもそれを求めていく責任がある。混入事件の真相はいまだ解明されず、週刊誌などでは日中友好に反対する勢力の関与や食品業界再編の動きを妨害しようとする「テロ」を疑う記事も出始めている。
有機農産物のシェアは、全体の0.5%と言われている。「手に入りにくい」とか「高い」のが理由と思われているが、そうさせられている実態には目を向けられていない。産直で一個250円のかぼちゃが青山の大手スーパーでは全く同じものであるにもかかわらず1500円で売られていたことがあった。
食べ物に関する問題は、「仕方がない」で済ませられるものではない。安さと安全性も、両立し得ない話ではないはずだ。便利さを求めて開発された科学による人間への逆襲と言える。生協や学校給食、外食産業、そして家庭。中国産や天洋食品だけを排除すればよいのではなく、いのちと健康、自然と生活をどう結びつけて考えるべきかという問題ではないか。
2月13日
食はいのち(1)